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食を通して他地域と交流する

文京区は平成31年2月20日、岩手県盛岡市と友好都市提携を結び3月9日には岩手県盛岡市の食材を使った学校給食が始めて提供されました。今回は食の可能性、友好都市の魅力をお伝えします。

文京区は平成31年2月20日、岩手県盛岡市と友好都市提携を結びました。友好都市になったきっかけは歌人、詩人、評論家として知られる「石川啄木」の存在でした。

その交流は現在も良好に続いており、岩手県盛岡市の食材を使った学校給食が3月9日に始めて提供されました。盛岡産の黒毛和牛を使った牛すき煮と盛岡産のりんごが宮内15の小中学校で合わせて5000食あまりが提供されたそうです。

今回は食の可能性、友好都市の魅力をお伝えします。

 

石川啄木から交流に繋がる

文京区は平成31年2月20日、岩手県盛岡市と友好都市提携を結びました。歌人、詩人、評論家として知られる石川啄木は、岩手県盛岡市日戸(旧南岩手郡日戸村)で生誕し、文京区小石川で没しました。この縁から、平成23年に「災害時における相互応援に関する協定」、平成24年に「地域文化交流に関する協定」を締結し、現在、区内には啄木終焉の地に隣接した場所に歌碑と顕彰室が設置されているほか、毎年文京シビックホールにおいて石川啄木を顕彰する啄木学級という講座を盛岡市と協力して開催しています。(文京区HPよりhttps://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/gejutsu/bunka/moriokacity.html)また、盛岡市が誇る世界一の太鼓パレードとして”盛岡さんさ踊り”を文京区のお祭りなどで披露されているそうです。

 

また、盛岡市・文京区友好都市提携記念実行委員会主催の記念レセプションでは、区の「こども宅食プロジェクト」にご賛同いただき新岩手農業協同組合、岩手中央農業協同組合からそれぞれ600kg、計1.2トンの白米を頂くなど区民への貢献のためにも良い友好関係を築いています。また、同日には、 盛岡市・文京区友好都市提携記念実行委員会の主催により、「盛岡駅滝前広場」に友好都市提携記念碑が設置されています。

こどもの宅食プロジェクトのサイトはこちら
https://kodomo-takushoku.jp/

このように石川啄木という人物を通して、友好都市という関係を築き、互いに学び合いや交流を深めてきたのです。

食の可能性

3月9日に学校給食として盛岡産の黒毛和牛を使った牛すき煮と盛岡産のりんごが区内15の小中学校で合わせて5000食あまりが提供されました。

文京区では子供たちにユネスコ無形文化遺産に登録された和食の良さを知ってもらおうと、区立の小中学校で年に3回「和食の日給食」を実施していいて、盛岡産の食材はこの和食の日給食に合わせて子供たちに提供されました。

食事は生きていくために必要です。しかし、食の可能性は生きていくためだという最低限の人間の活動に必須だからということだけでなく様々なところに広がっていると感じています。なぜなら食事をすることで幸せになれたり、元気になったりするように個人としてエネルギーを蓄えることができるのはもちろん、友人と仲良くなったり、ビジネスの場面でも食事をして関係を構築することがあるからです。

今回も、友好都市としての交流は食を通しての交流でした。ただ歴史を学び、文京区にゆかりのある人物を紹介するよりも食を通して学ぶとより身近に感じることができます。

食を通して繋がる

姉妹都市交流、友好都市交流はいずれも現地を訪れて国内でも海外でも生活してみて文化に触れ、歴史を学びます。そこには食事という楽しみもあります。上記したように食の可能性は広く、郷土料理を通してその地域の歴史や気候的特徴を学ぶことができます。

このように現地で食事することだけが交流ではなく、遠く離れていても食材を送って調理し、食を通して文化に触れることができます。

実際に中学校では教室のスクリーンを使用して友好都市を提携するきっかけとなった石川啄木のエピソードや盛岡産農作物についての説明が映像でされたようです。

新型コロナウイルスの影響で海外渡航ができなかったり、地方へ行くのもリスクを考慮して簡単にはいけなくなってしまいました。しかし、オンラインで人は繋がれるし、食で人や地域は繋がれるということに気づくことができます。

まとめ

いかがでしたか。

現在私は大学生で自炊をするか外食するか、バイトで賄いを食べるかという食事の方法なため時々給食を食べていた頃が懐かしく、恋しくなったりします。

私の地元は郷土料理がいくつかあるため、毎日のお昼の放送では食にまつわる豆知識や料理、食材について食べながら聴いていたことを思い出しました。

食の可能性無限大です。

是非仲良くなりたい人を食事に誘ってみてください。